大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成2年(わ)4529号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  自動車運転の業務に従事するものであるが、平成二年一二月一五日午前一時五分ころ、普通貨物自動車を運転し、大阪府八尾市〈住所略〉付近道路を西から東に向け時速約五〇キロメートルで進行するにあたり、道路前方及びその左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、たばこに火をつけるためうつむき前方不注視のまま進行した過失により、進路前方車道上にうずくまっていたA(当時二四歳)に前方約16.2メートルに接近してようやく気付き、急制動の措置を講じたが及ばず、自車前部を同人に衝突させて路上に転倒させ、自車車体下部に同人を巻き込んで引きずり、よって、同人に頭部外傷等の傷害を負わせた上、(いったん停止して下車し、自車車体下部に同人がいるのを認めて怖くなり、その場から逃走するため、同人を轢過しないように発進したものの、)更に同人を自車左後輪で轢過し、これらの行為により、同人をそのころ同所において、脳挫滅により死亡させた

第二  前記日時場所において、前記車両を運転中、前記のとおりAに傷害を負わせ死亡させる交通事故を起こしたのに、直ちに車両の運転を停止して同人を救護する等必要な措置を講ぜず、かつ、その事故の発生日時及び場所等法律の定める必要な事項をただちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかった

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(付言)

一  前掲各証拠によると、被告人は、普通貨物自動車を運転中、前方不注視のまま進行した過失により(なお検察官は、制限速度を約一〇キロメートル超過する速度で進行した点をも過失と主張するが、この速度超過が本件事故発生の原因になっているとも、それによって結果がより重大になっているとも認められないから、これをも過失内容に含ませる必要はない。)、車道上にうずくまっていた被害者の頭部等に自車前部を衝突転倒させて、自車車体下部に被害者を巻き込んで引きずった上、いったん停止して下車し車体の下を見たところ、自車車体下部に被害者がいるのを認めて怖くなり、その場から逃走するため、被害者を轢過しないように思いながら再発進した(この再発進行為が被害者に対する殺人や傷害の未必的故意によるものとは認められない。なお、検察官も同様の主張である旨釈明している。)ものの、更に被害者を自車左後輪で轢過したこと、被害者は頭部・顔面挫轢により脳挫滅の傷害を負い、これが直接死因となって即死したが、他にも頸椎骨骨折、右肺臓挫裂、左右肋骨多発骨折等、全身に多数の傷害を負っていたことは間違いのない事実として認められるけれども、右各傷害のうちどれがいったん停止までの衝突等によって生じたのか、あるいは再発進後の轢過によって生じたのかは、必ずしも明らかでなく、殊に直接死因となった脳挫滅の傷害は、再発進後の轢過によって生じた可能性が高いものの、いったん停止するまでの頭部への衝突等によって生じた(この段階で頭部外傷が生じていたことは間違いない。)可能性も全くは否定できない。

二 当裁判所は、右のような事実関係のもとで、被告人に前方不注視の過失により自車を被害者に衝突等させた行為による業務上過失致死の罪責を問いうると判断したので、その理由について付言する。

被告人が前方不注視の過失により自車を被害者に衝突等させた行為と、いったん停止し自車車体下部に被害者がいるのを認めてから再発進させて被害者を轢過した行為とは、「自然的観察」のもとでは別個の行為とみるべきである(本来後者の行為は前者の行為と併合罪関係に立つ別罪を構成する。)から、当初の前方不注視の過失により自車を被害者に衝突等させた行為に、再発進後の轢過によって生じた可能性の高い脳挫滅の傷害による死亡の結果についての責任を問うためには、それにもかかわらず両者の間に因果関係のあることが肯定されなければならない。

当初の衝突等がなければ再発進後の轢過もなく死亡の結果も発生しなかったのであるから、当初の衝突等の行為と死亡の結果との間に条件関係のあることは明らかである。しかし、当初の衝突等の行為の後に再発進して轢過する行為が、経験則上、通常予測しうるようなものでないとすれば、当初の衝突等の行為と再発進後の轢過によって生じた可能性の高い死亡の結果との間の法律上の因果関係は否定されるべきである。当初の衝突等の行為の後、殺人や傷害の故意を生じ再発進して轢過したとすれば、それは当初の衝突等の行為からは、経験則上、通常予測しうるようなものではないというべきであり、当初の衝突等の行為と轢過によって生じた結果との因果関係は否定すべきであろう(最高裁判所第一小法廷昭和五三年三月二二日決定・刑集三二巻二号三八一頁、東京高等裁判所昭和六三年五月三一日判決・判例時報一二七七号一六六頁等参照)。これに対し、その場から逃走しようと再発進した際に、不注意により再び轢過することは決して何人も予測しえないような偶発希有な事例ではなく、事故直後の運転者の心理状態に照らしても、経験則上、通常予測しうるところであるから、当初の衝突等の行為と轢過によって生じた結果との因果関係は肯定することができるというべきである。

してみると、直接死因となった脳挫滅の傷害が、当初の衝突等によってでなく、再発進後の轢過によって生じた可能性が高いとしても、被告人は当初の衝突等の行為による業務上過失致死の罪責を免れない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二一一条前段に該当するところ、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第二の所為のうち救護義務違反の点は道路交通法一一七条、七二条一項前段に、報告義務違反の点は同法一一九条一項一〇号、七二条一項後段(平成二年法律第七三号による改正前のもの)にそれぞれ該当するが、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い救護義務違反の罪の刑で処断することとし、判示各罪について所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一〇月に処することとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が普通貨物自動車を運転中、たばこの火をつけるために、自動車運転者としての基本的注意義務である前方注視義務を怠って被害者と衝突する交通事故を惹き起こしたのに、被害者を救護するなどの措置を講じないまま逃走しようとして、更に被害者を轢過し死亡させた事案であるが、犯行の結果はいまだ二四歳の若さの被害者の貴重な一命を失わせるという誠に重大なものであって、殊にいったん自車の下に倒れている被害者を発見しながら、なおも被害者を救護することなく、再度轢過して逃走した点は非常に悪質であり、そのような行為がなければ、被害者が一命をとりとめていたかもしれず、遺族の被害感情が厳しいのもうなずけるところであり、被告人の刑事責任は重いといわざるをえない。

してみると、被害者にも車道上にうずくまっていた点でかなりの過失があること、示談未成立とはいえ、本件車両には任意保険も付されており、やがて相当額の損害賠償がなされるであろうこと、被告人は交通事犯による罰金前科二犯を有するものの、まじめに働いていたこと、被告人は本件事故により会社を懲戒免職になるなど社会的制裁も受け、現在本件を深く反省した上、将来の再犯なきことを固く誓っていること、被告人の姉夫婦が被告人の監督を約束していることなどの、被告人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、被告人に対し、主文掲記の実刑を持って臨むことはやむを得ないというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官森岡安廣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例